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fahrenheitizeのブログ。

対談イベント終了、イベントで話せなかった内容について

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はせさん主催のブロガー対談イベントが終わりました。

金曜日なのに見に来てくださった方は本当にありがとうございました。
そしてはせさん、準備と仕切り本当にありがとうございました。


イベント登壇者として

それなりの人数がいる前で話す機会はしばらくないことでした。はせさんの仕切りに乗っかって好きなように喋りました。安全ちゃんとズイショを猛プッシュしました。緊張はしつつも楽しかったです。

ただ、人前で喋る人として上手くいったか?と言われると正直苦笑いをしてしまいます。観覧者はテーブル単位だったので、どのブロックも徐々にほぐしていこう、トピックごとに違うブロックを見ながらオープンさせていこう!までは出来たのですが、最後まで全体が前のめりになってくれる感じはなくて「くそーっ!」という気持ちが残っています。

テーマでありながら深く話せなかった部分について、反則なんですがこの場を借りて書いてみたいと思います。


女の子について書く理由

ブログ戦略的な動機ではマーケットが広いからです。人の悩みは金・異性・健康に集約されると言われています。そこに対してまとまった内容を放り込めば"当たる"と考えていました。自分自身が意識せずに他人よりもお金と時間を使ってきた部分で、そういった普通の人との何らかの差異がブログのコンテンツになるというのは、また事実なんだと思います。

個人的な動機について。いずれまとまった内容で書くつもりですが、俺個人はすごく人当たりのいいキャラクターです。ただ、「知り合いは多いけど、友だちは少ない」タイプ。過去に自分の出し方を間違えることで、他人と軋轢を起こしまくってきました。他人に気を遣うことを覚えたのは恥ずかしながら20代に入ってからのことで、たとえば「言ったらイカンこと」「やったらアカンこと」というのを繰り返してきました。形は違えど今でもそういう部分は残っていて、頭を抱えて反省することは多々あります。半音ズレた状態で噛み合わないのを何とか噛みあわせたくて、間違った方向に絡んでしまったり。

そんななかで「この人はどう思っているんだろう?」「自分をどういう風に相手に見せるべきなんだろう?」と繊細に振る舞おうとする努力を昔から自然とやってきていたのは自分が落としたいと思う、女性とのコミュニケーションでした。「あー、そのままの自分では相手に響かないんだな」ということを思春期に思い知ったからです。男同士はわりと気楽で、「好きな奴同士でつるむ」という側面があったから温存していたのだと思います。


そういう意味でプロセスごとに細かく他者との関係を無意識に考えていたのが対女性であり、文章化できるコンテンツになったのだと思います。自分の興味が強かったのと同義です。まぁモテるためには繊細な駆け引きが必要か?であるとか、可愛い女の子が一緒にいたい人か?という別に感じてきたことはあるのですが、総合的にはそんな感じです。

厳密に言うと、男性に対しても、落とすとは別の文脈での女性とのコミュニケーションにおいても、自分勝手な振る舞いをして良い関係なんてなくて、そこはもっと上手くしていかなくちゃいけないと感じます。今は生来の人懐っこさで上手くいきそうにないときは、営業的な手法でお茶をにごしている気がします。多くの時間を費やす職場関係においてはその方法で困ったことないんですけどね。

相手に合わせることが上手いコミュニケーションではないし、自分の思うように相手を支配することが上手いとはもっと思いません。さらには自分が合う人とだけコミュニケーションするのが得策とは決して思いません。直近の数年はそれを考え続けていくのかなって思う。


こちらが対談相手のはせさんの感想になります。
「わかりあえなくていい」という寂しい安堵感 - インターネットの備忘録 はてなブックマーク - 「わかりあえなくていい」という寂しい安堵感 - インターネットの備忘録