最近、リアルでの出会いに傾倒していた。
6月に主催したイベントに始まり、10数名を募ってのお茶会、デイキャンプのお手伝い。
この数カ月で繰り返し会う関係になった少数の人があり、1回きりながら深く印象を残してくれた人もいた。
この間、言葉にできない動機に駆られて動いていたけれど、お腹いっぱいになってきた感覚が強いので、当分気安く人に会うことはないと思う。(既に決まっている10月のブロガーズフェスティバルは別だけれど)
俺にとってインターネットで文章を書くことはアジテーション目的だった。
これまでの自分の「経験と思い」を読んでくれる人にぶつけ、「変わりたい人はきっかけにしてくれ」と訴え続けてきた。バズの追い風に乗せて、それに負けない強度のある文章をいかに書けるかというスタンスだった。
初期衝動とは失われるもので、無邪気にその気持ちを持ち続けることは難しかった。
インターネットで芸人をやりたいわけではなかったので、その次として「読んでくれている人の実態は何か?」に進んだことは、自分にとっては自然なことだったのかもしれない。
イベントでは「(参加者にとっての)出会いと共通体験」をいかにお膳立て出来るか。お茶会では出会いたての人から「むき出しの言葉」をいかに引き出せるかに挑戦していた。
それぞれにおいて成功した部分も、未熟ゆえに失敗した部分もあるけれど、自分の心に何かが満たされていく感覚がたしかにあり、それは自分が次に書く文章に確かな影響を与えることを確信した。何かとは何か。
誰かが本当に心を躍らせうるものとは? 自分以外の他者の欲望とは? 整然と出てくる言葉の裏側にあるこの人のどこまでが真実か? あるいは欺瞞か? 自分は、この人たちの何が愛おしくて、唾を吐きかけたくなるほど不愉快に感じるのか?
それは他者を通して出会う、手ざわりだった。
そんなものは「一個人としての俺」が既に持っているもので、ファーレンハイトとしてより他者にコミットしていくことで、「ファーレンハイトとしての自分」に馴染ませていこうとする試みだったのだろう。リアルとバーチャルの自分をないまぜにしていくかのような。
さて、直近は人目にふれない文章を黙々と書き続ける毎日になる。
書き上げた瞬間に即時公開をすることが多かった自分には、迷いがもたげるシーンも多々出てくるだろう。そんなときにはこの数カ月が残してくれた「手ざわり」を手掛かりに、自分の奥底にある言葉を探り当てて行きたいと思う。
自分のなかにない言葉を書き連ねるのは欺瞞に他ならない。
ただの言葉遊びではない、自分が心底愛せる文章を、目の前にいない誰かに向けて書こうと思っている。
それが自分の人格を越えて、テキストの世界で新しく出会えた誰かに届けば、それ以上のことはない。