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fahrenheitizeのブログ。

スノボーに行ってパートナーとの距離感について、思いを馳せたことがあった。

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あれは社会人になってちょっと経ったタイミングだった。

大学時代から交友関係のある4カップルで、泊まりがけでスキー・スノボーに行く機会があった。記憶力がポンコツの俺はどこに行ったか思い出せないのだけど、とにかく雪国だったことはまちがいない。

現場ではスノボーをやるのが6名、スキーをやるのが2名、それぞれのスキルもまちまちという状況だった。俺自身、スノボーは木の葉でターンが出来るけど、普通のターンはまだ出来ないという時期だった。当時の自分の彼女も初めてに近い状況だった。


ひとりの男友達は合理主義な人間で、スキルが近い者どおしで一緒に遊ぶのが効率的という考えで、自分はスキーを選択して、自分の彼女を放置して、同じくスキーが上手い女の子とガンガン上級者コースを滑り倒していた。苦笑いした。

他の二人の男友達はスノボー上級者で、ふたりとも他のメンバーに合わせてくれていた。まぁスキーとスノボーを選択したことで、それぞれが自分の彼女とずっと一緒にいたわけではないのだけど、スノボーを選択した男3人の女の子に対する向き合い方のちがいがすげー面白かったのだ。


ひとりは俺が大学時代にもっともお世話になった先輩の一人で、めっぽう面倒見が良い。"森田という苗字の男性に悪い人はいない"ルールは彼の存在が大きい。(なお、明子という女性に悪い人はいないルールも俺には存在する)

スノボー上級者なのに、自分が楽しむことは一切捨てて、初心者の子に照準を合わせてあげているのだ。スノボーをやったことがある人は分かることだけど、初めてやるときには「立ち上がること」すら怖い。おまけに滑りだして慣性がつくと恐怖でしかなく、自分の身体がまったくコントロールできなくなってしまうものなのだ。

彼は、女の子が身体で覚えるまで手をつないだ状態で一緒に滑っていた。文字通り手取り足取り、とことん付き合うのだ。まちがいなく自分は楽しくなかったにちがいない。でも、それが当たり前のことであるかのように振る舞っていた。奉仕の塊である。


もう一人は同期で、めっちゃ良い奴でちゃんと空気を読む存在である。だが、あんまり繊細ではないので、ビューっと降りていって、かなり下の方で待っている。そこまで行くなら徹底的に一人で楽しむノリで良いんじゃないのか?というレベル(笑)でも彼の彼女はアスリート気質でターンが出来ない自分を悔しがって黙々とやってたりするから、それで関係は成立しているわけだ。


俺はというと、やっぱり自分も楽しみたい。でも、彼女のことも気になる。ので、少し滑れるようになってきた彼女と一緒に、数十メートルほどは自分の好きなように滑る。そこで止まって、彼女が来るまで待つ。そう遠くない距離までは自力で来てもらう。

往々にして歴代の自分の彼女は頑張り屋なことが多いので、あまり手出しをしすぎると嫌がられる傾向があったりするのだ。べったりしすぎず、さりとて気にしないわけでもなく、という距離感がほどよいのだ。


そしてどの男性の振る舞いが好きか? というのは女の子に依存することだろう。

先輩のようにベッタリと面倒を見てくれる男性が好きな女の子はけっこう多いと思う。そしてとても愛を感じる振る舞いだ。けど、自立思考が強いタイプの女の子は鬱陶しさを感じる局面もあるだろう。

俺みたいに自分で出来る範囲のことは自分でやりつつ、バランスを取って一緒に楽しみましょうみたいな接し方は、ある意味では冷たいし中途半端なスタンスである。面倒を見てほしい子は物足りないだろうし、突き詰めたい子にとっても物足りないだろう。

同期は……まぁ、良い奴でしたよ(笑)

あるいは今回のエピソードは該当しないけど、ダメダメな男に対して面倒を見てあげることが好きな女性だって多いわけじゃないですか。というかまぁ、大学時代の俺の相手をしてくれた女の子って大概そうだったんすけど(笑)


『何かを一緒にやる』というのはすごく面白くて、その人の物事に対する向き合い方と、一緒にいる人のどこに対して気を遣うか? みたいなのが明確に出てしまう。冒頭に挙げたスキーを選択した彼だって、誰もやらない旅程をバッチリ組んで進行して、完璧に面倒を見てくれてたりするわけです。

そういう特定シチュエーションにおける振る舞い方を見て、「この人はパートナーに対して、どういう風に向き合っているのか?」みたいなのを想像するのが俺は好きだったりします。どれが良いとか悪いとかじゃなくて、多分それってほんとに個性なんですよね。それで、その手持ちの個性で付き合える相手と誰しもがマッチングしてたりする。

別の言い方をすれば、自分の向き合い方を変えれば、マッチングできる相手も変わるってことなわけで、希望を持てることじゃないですか。

こういう「自分の振る舞い方のクセ」を自覚したり、「他の人の振る舞い方のクセ」を盗む機会を得ることは本当に面白いことだと思います。自分にとって出来ること・できないこと、出来そうなこと・逆立ちしても出来そうにないことを自覚していくことは、生きていくうえでけっこう重要なことだと思うから。