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桐谷ヨウ@blog

桐谷ヨウのメインブログ。恋愛・コミュニケーション・海外・文章を書くことについて。


海外旅行の醍醐味は、ハレをケに取り込んでいく快感にある。

旅行

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海外旅行が好きな人は、すごく多い。

お気に入りの場所に何回も行く人もいれば、新しい場所にどんどん行くことを好む人もいる。物事には深さと広さがあるけれど、どちらを追求するかはその人の個性に起因するアプローチのちがいと言えるだろう。


俺はどちらかといえば多くの国に行きたいと思うけれど、なるべく表面をなぞるだけの訪問にならないように、最近は気をつけるようにしている。どれだけ潜れるか?というニュアンスだ。


さて、俺がはじめて海外に行ったのは中学時代、アメリカに短期の交換留学をしたときだ。無邪気に西海岸の自由さを楽しんだ。

そこから長く海外に行く機会はなく、大学時代にカナダ・アメリカの東海岸に行ったのが次の機会になる。その後、会社の出張がらみ・プライベートで行くこともあったが、海外にハマるとまではいかなかった。

かつて「海外旅行で価値観が変わるなんて、どんだけお前の価値観は薄っぺらいのだ」と思っていたのがこの頃だ。

元キャバ嬢のトモダチが世界一周に行くと僕に言った - My Favorite, Addict and Rhetoric Lovers Only


自分が海外を好きになったきっかけは、数年前に海外に「住む」機会を得たことである。

中期の海外出張、それも多くの人が行きたがらない国(俺は喜んだが)に滞在することになり、なんというか自分なりの「海外の楽しみ方」と仲良くなることがやっと出来たのだ。

海外の楽しみ方は人それぞれで、そこに優劣なんてない。でも、俺なりに醍醐味を書いてみようと思う。

世界遺産は例外なく出オチ!

当初、海外旅行にハマれなかったのは「名所巡り」に興味を持てなかったことが大きい。

日本ではお目にかかれない、壮麗な景色や建築物はたしかに存在する。だけど、頭のなかにあったものを歩いて再現して「なるほど」と思ったからといってなんなんだろ? という実感が強かった。

事前に知っていた知識と照合するようにして、有名スポットや世界遺産や美術館の実物を鑑賞することが、自分の場合は、楽しめなかったようだ。 

現地の人とふれあうこと

当時から現地では、とにかく人と会話をすることが楽しかった。

路上なり、飲食店なりでたまたま居合わせた人と目が合うと、進んでからんでいた。それがシンプルに「海外に来た」と実感できる瞬間だった。

国によるが、多くの場合は気安い人が多い。そういう人と何気なく交わされる会話は思わされることがしばしばある。現地の人でもいいし、現地にバカンスに来ている人でもいい。アメリカで黒人に「タバコくれ」と話しかけられるのがきっかけだったり、イギリスで孫を連れてきているドイツ人のおばちゃんと話すこともあった。


俺が会社の海外出張において、もっとも軽蔑したのは先輩・上司が、現地の人とコミュニケーションをとらないのはおろか、「メシがまずい」という理由で短い滞在期間でも、日本料理の店に行きたがっている姿だった。

口にあわない料理はたしかに存在するけれど、会社(おまけに先方からすると実質、接待というかたちになる)で連れて行かれるランクの飲食店でまずい料理なんてありゃしない。そういう奴らにかぎって夜の遊びをやりたがる。


結局、自分にとって海外とは、日本という環境の外側の人が、どんなバックグラウンドを持っていて、何を好ましく思い、何を敬遠し、何を美味しいと思い、さらにいえば何を幸せと感じているのか? を知るための機会という風に捉えるようになっていったようだ。

そしてそれを知れる一端が、現地の人とのナマの会話だったんだろう。

新しいスタンダードを自分に取り入れる

そのことは海外に「訪れる」のではなく、「住む」機会を得たことで自分のなかに輪郭づいた。

ひょっとすると宗教や国の歴史を学習すれば、カバーできることかもしれない。が、やはり肌感覚で知っていけることがすごく楽しい。


たとえばイギリスで17:30頃に一斉に帰宅していくさまを見て、インドでは勤務時間中に平気で一時間もブレイクを入れるさまを見て、「あっ、日本人働きすぎだわ」と実感したりする。

インドは色々とありえない国でネタがつきないのだけど、たとえば道路の渋滞がひどく、常にクラクションが鳴り響いていて、マジでうるさい。そして渋滞の原因は交通量もあるが、路上を歩く牛である。悠然とスローに歩いていやがる。(法律がアナウンスなしにアメンドされたりもする)


日本では「ありえないこと」が「当たり前」のことであり、それを前提に生きていくということ。その共通前提…彼らの常識や環境を自分に取り入れること、それこそが世界を知っていくことなんじゃないだろうか。それは日本のスタンダードを残したままのまなざしでは出来ないことである。

当然、グローバルなスタンダードは存在しない。無数にあるスタンダードのなかから、日本のスタンダードしか持っていなかった自分が、なるべく多くのスタンダードを自分の中に取り入れていくこと。新しいスタンダードをその場で見つけるということ。

つまり自分にとって海外に行く意味は、「どこでも生きていける自分になる」ための実績を収集していく(スタンダードを増やす)ことに等しい。

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海外旅行は変化が少ない日常に、ハレを作り出せる機会


現代社会は「お祭り」ごとと疎遠になっている。「ハレ」と「ケ」と呼ばれるが、正直なところハレの場がない。あるのは気休めのような、多少テンションが上がるイベントくらいだ。

言ってしまえば、海外旅行はハレの場だといえる。日常から遠く離れて、自分で計画するお祭り。日々の嫌なことを忘れられる類いの。


自分にとっては、それと同時に「ハレ」を「ケ」に取り込んでいく行為だといえる。いつそれが日常になっても、OKになるように。

「ハレ」を「いつか来るかもしれないケ」に落とし込んでいきたいということだ。

まぁ、とか言って、単純にバカンスとして人がいなくて、自然が美しいところに行きたいなとかも思ったりもするんですけどね。ハレのためのハレ。この秋冬は彼女とタイの離島に行くつもりなので、観光客が押し寄せていない南の島を推してた高城剛やっぱすげーな、と思ったりするんだけど(笑)。

自分の眼差しをいかに持てるか?

余談なんだけど、海外に行くと自分の眼差しをいかに持てるか? をためされるようなところがすごく楽しい。

たとえば台湾の夜市って場所によって微妙に意味合いがちがったりする。現地の人が仕事終わりにメシを食いに行く場所かと思いきや、別の夜市では毎晩行われる夏祭りの出店みたいな場所もある。ひとくくりにされている場所の立ち位置のちがいに気づいたりする瞬間はすごく面白い。


あとはなんだろうな。これは日本にいてもそうだけど、「有名な場所」が「面白い場所」とイコールではなくて、そういうスポットを見つけるのは事前の情報もあるけれど、現地でガンガン移動することが必須だなーと思ったりする。

日本で東京か京都か大阪でちがうように、東京でも渋谷なのか高円寺なのか自由が丘なのかで、変わってくるし。

韓国でも明洞周辺は観光地疲れしてるなーと思ったけど、たまたま訪れた場所は若者がたくさんいて勢いあるなーと思ったし。


まぁ世界一周をしているからどうとか、バックパッカーやってました…みたいな話には、どうとも思わないのだけれど、自分の知らない土地を楽しそうに語っている人を見ると、素直に羨ましいなと思うし、まだまだ自分もその世界を自分のなかに取り込んでいきたいなーと思わされるのだ。


ついに出た高城剛のライフパッキングの続編。なんだかんだで紹介されているものを、いくつか買ってしまった…。

使っているキャリー。さすがカリマーは足まわりがしっかりしていて本当にオススメ。