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桐谷ヨウ@blog

桐谷ヨウのメインブログ。恋愛・コミュニケーション・海外・文章を書くことについて。


死後、人間はどうなると思いますか? ー「心」「身体」「魂」についての考察ー

コラム・エッセイ ファーさんにQ&A

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死後、人間はどうなると思いますか?
またはどうなればよいと望んでいますか?
また、そのようなことをよく考えますか?

たまにはこういう質問も良いですね。エイプリルフールなので、俺のなかの何かを全開にしてお答えしましょう。


メメント・モリ ー 死を思え。死があるから、対比して生(性)が輝く。自分のコンプレックスに近い部分ですが、よく言われるこの言説を実感しえていません。おそらく物心がついてから肉親が死んでいないことが遠因になっていると思います。

よって、「死んだときに悔いを残したくない」という気持ちを胸に頑張っている友人を見ても、自分を揺さぶられるようなことはありませんでした。子供のころに死に思いを馳せてどうしようもなく怖くなった経験もなかった。


数年前、インドのガンジス河に一人旅に行ってきました。「ガート」と呼ばれる区分けされたエリアの一角が有名な「死体を燃やすガート」になっています。動かなくなった"人間だったもの"が積み重ねられ、牛糞が撒き散らされた土の場所。火をくべた大量の薪に燃やされ、脛の皮膚は焼けただれ、焦げ目と溶け目が混然としていました。その下から脂肪か骨がわからない白いものが覗いていて、それが炎に包まれている光景が目に焼き付きました。

それでも、俺は、「死を前提とした人生観」を実感しえませんでした。

「いつか自分は死ぬ」ーこの当たり前の事実に危機感を持てず、自分は日々を生きてしまっています。嫌になるほどお気楽に。切実さを欠いて。あるときは吹き上がる自分のなかの何かをトリガーに切実に。


死後、人間はどうなるか?日常を生きる俺の回答では「自分を通した世界は死ぬ」です。世界とは自分自身のありようで決まり、人間の数だけ世界は存在していると考えています。それゆえ自分が死ねば何も残らない。同時に、それぞれの人間にとっての世界は変わらない。

自分はUFOよりかは幽霊を信じているタイプですが、天国とか地獄に行くんじゃなくて、来世を生きているイメージ。死後の世界はどうだろう。それよりも輪廻転生できたら良いと思うな。おそらくこの世界に生まれ降りたからには、何らかの「体験するべきこと」があるんじゃないでしょうかね。ミッションのように受け取ると息苦しくなるけれど、「生きてきて良かった」と思えるような。


自分はご存知のように超リアリストですが、同時にスピリチュアルな世界が嫌いではありません。そのなかでわりと(人間的にも、社会的にも)信用できる人たちが口を揃えて言うのが「魂が現世を楽しむために現世にいる」ということです。さっぱりわかりません。俺は宇宙とも神とも対話できません。自分のなかで保留にしているけれど、気になっている言説です。


ただ、仏教的な観点で言うと、「心(頭)」とは「何らかの状況におかれたときの処理の結果」に他ならないようです。心=自分と思っている人が多いですが、それではなぜ同じ状況で幸せを感じたり、テンパったりするのでしょうか?一喜一憂するのが自分自身なんでしょうか?快も不快も自分へのインプットに対する、アウトプットなのです。知人は悩みを処理が一向に進まないバグ状態だと喩えていました。近頃の自分にはこの考えがすごくしっくり来ます。


同時に考えるべきは「身体」です。頭で分からないことは身体に聞くのが良い。気持ちがすぐれない時は、身体を動かせばなぜか心までスッキリする。「身体」と「心」は双方向からアプローチできるのはみなさん実感していることですよね。そして現代人は身体の声を聞けなくなりすぎているんでしょう。(俺の彼女はこれに敏感で尊敬している部分でもあります)


そして「魂」。この概念は半信半疑ですが、「直感」を考えたときに思わされる部分があります。「思考」には限界があります。それでも何かブレイクスルーするような直感を得られることがあります。あれは思考の結果ではなく、また自分の深層心理でもなく、自分の内側から突き動かされている感覚です。そしてこの直感が外れたことはない。新しい何かになろうとする自分の内なる慟哭なんじゃないでしょうか。似て非なる衝動的な感情はエラーが出まくりなんですが。

いまのところ自分は「身体」と「心」をいかにフラットにしていくか。ゴミを取り除いていくか。デフラグしていくか。これにより「何らかの状況におかれたときの処理の結果」を良いものにしていきたいと最近は思ったりしています。それらをねじ曲げてバグを引き起こす"怒り"や"嫉妬"という感情に対して、敏感になっています。

これを究極的に押し進めていると「植物が最高ってことじゃねーかよ」になるので、さきに挙げた「魂が現世を楽しむために現世にいる」という言説は自分のなかでつながるものがあったりするんですよね。


「魂」については半信半疑の自分がいます。ただし、「心(頭)」が自分ではない感覚があります。「身体」は乗り物です。では、「自分とは?」を抽象化したときに、何らかの思念体・エネルギーの塊のような存在の自分を感じなくはないと思ってしまいます。肉体という遺伝子の乗り物を捨てた(死んだ)先に、何があるんでしょうね。

ひとつのヒントに多くの宗教も、スピリチュアルも<ONENESS>を語っているということです。すべての人は魂レベルでつながっているというのは全然分からないですが、「気が合う」とか「居心地の良い場所」はなぜ感じるのか?をロジックでは説明できない自分が同時にいます。

自分は無宗教で、教育も受けていないのですが、たとえば仏教を「人類史上で超絶にIQの高いシッダールタさんが抽象化思考をしまくった結果の概念」と考えると、歴史の淘汰に耐えてきた点も含めて、屈服せざるをえない感覚を持ちます。


ご質問者さまの質問を直接お答えするとつまらない回答になってしまうので、連想された自分の知識とか考えを書いてみました。これらは今後も変わっていくと思います。ただ、人間の生き死にを考えるときにこれらのことを無視しては、システム社会に順応すること=生きることになっている自分に疑いを持てなくなってしまう。

そんな風にはならずにご機嫌な人生を送って生きて、死んでいきたいなぁと僕は思うのです。


この本は仏教に無知だった自分の入門としてすごく面白かったです。


超絶有名なスマナサーラさんの本。自分を変える気づきの瞑想法も面白かったです。


こちらは挫折しました…。が、いつか再チャレンジしてみます…。


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