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桐谷ヨウ@blog

桐谷ヨウのメインブログ。恋愛・コミュニケーション・海外・文章を書くことについて。


最近の岡田斗司夫批判とか恋愛工学ディスとかで感じたこと

恋愛 恋愛-男向け

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ちょっと前に岡田斗司夫騒動があって、最近は恋愛工学が話題になってるらしい。あまりヒマがなくて追っかけてないのだけど、 Twitterを覗くとやたらリツイートがまわってくる。(フォローしている人のクラスタなんだろう)

岡田氏の件は「勘違いした全能感を暴走させた」「立場的に支配下における存在をコントロールしようとした」、藤沢氏の理論で言えば「自分の価値を高く見せて、高い段階で売り抜く」「セックストリガーで女性の感情を固定化させる」というのが彼らの"やり口"の肝になる部分だ。



これに対して鬼の首を取ったかのような批判とか、人でなし宗教のようなツイートが溢れてるんだけど(まぁこのあたりのツイートを見ていない人は知りもしない話だが)、だいたいは怒りと侮蔑のツイートだ。これに対して男が「あれは一理ある」と言おうものなら巻き添えを食らいそうな勢い。


俺が個人的に思ったのは「ノウハウってそんなもんじゃないの?」ってこと。良い悪いじゃなく、すべてのノウハウは歩留まりを上げる方向性に帰結する。結果へのショートカットの純度を上げれば、こぼれ落ちるものはある。要は、美学・品のなさ(キモチワルイ)みたいなものへのディスなんだろうな。

たとえば水野敬也さんのモテ本でも「酒を進ませろ」「タクシーの運ちゃんとツープラトン攻撃をしかけて宅連れ込みをせよ」「ドアを閉めたら逃げ場のないそのタイミングでバタンチューだ」などと、可愛げのある書き口を除外してやり口自体を切り取ればゲス以外の何ものでもない。(ただ、この本はトータルで感動的)


俺自身を振り返って、これらの手法を使っていないかといえば使っていた。学生時代と社会人の最初の頃はノリでなだれこむ戦法を使い、もう少し経ってからは悩める働く女性の理解者ヅラをしていた。この場合の理解はクセモノで自分が愛されたいから相手を分かったフリをするのだ。その相手をまるごと引き受ける気がないのなら、一線を引くほうが誠意だ。性的な関係ぬきでも醜い。だから最近は体の良い態度もほとんどの人に対して取らない。

ただ、思うのはどんなノウハウでくっついたのであろうとその後に上手く行っているのであればそれでいーじゃんと思う。この手のノウハウに泣かされた女の子が身のまわりに何人いるのか、何十人いるのか、それがわからない俺としては空中戦のまま、まーた男女の溝を作ってやがるなと思う。いや、知らないだけで何千人も泣かされてきた人はいるんだろう。女だけでなく、男も。分かりやすい構図だから男がヤリ捨てするイメージが大きいけれど、実際のところは女がていよく男を養分にして再起不能にすることだってある。ソースは俺の大学時代の友人な。

逆に、こういったノウハウを駆使して幸せに結婚していった男だって普通にいる。それは相手がそいつを変えたとか、適齢期とか、環境要因とか、色んな背景はあれど、こういったものなしでは結びつかなかった二人だろう。出会いは何だって良いといつも言っているのはこれなんだけれど。そこまで行かなくてもセックスしたことある友人として良好な関係を続ける男女はいくらでもいる。


たぶん大事なのはノウハウそのものではない。ノウハウですらなくて、思想ですらもない。美学だって正直どうだって良い。それはその人個人の問題であり、全体に求める問題じゃない。漠然としたネガティブなアメーバのような思念体に対して攻撃をしているような滑稽さを俺は感じる。

俺がただ思うのは「男性がトリガーを引いた恋愛なら女性」が、「女性がトリガーを引いた恋愛なら男性」が後悔をしないようにするべきってこと。俺自身が自分のやってきたことで『罪悪感』を感じるのは、自分のやりざまじゃなく、後悔させてきた個人に対してだ。自分がぶつけてしまった安易なひと言に対してだ。自分の軽率な挿入に対してだ。それ以外に関して、こういった物事に思いを馳せたり、言論ぶったことをやりたいのは、ヒマつぶしか、きっと他者批判とか何かを考えているように見せかけたい自己満足のように思える。当然、「傷ついた」「後悔」した女性(男性)の気持ちは否定されるべきでなくて、その人の言葉はすごく重いものだと思うのだけれど。


「やり口」自体はその人の処世術のようなもので、こういった形で明るみに出れば、女性も対策できるようになるだろうなって思う。このあたりのことは俺が同世代で超絶リスペクトしてる福田フクスケ氏が上手くまとめていた。(はやく飲もうぜ…プルプル)



男だって小悪魔テク…「わかった、もう手は握らなくていいから」と思いながら、それでも「まだこの娘には見せてくれてない何かがあるんじゃないか?」、そう思いながらあざとい手を振り切らないわけだ。巧妙な手口に引っかかる人をバカだと俺は言えないけれど、それでもそういう人が現実にいるかぎりはそれをわかった上で乗り越えて、「自分にとって良さそうな人か?」を見極められるようになってほしい。


俺は過剰なものは不健全だと感じる。過剰なセックスも、過剰な自己愛も、過剰な自己嫌悪も、過剰な共感も、過剰な批判も、過剰な健康法も、すべて不健康だ。あらゆる物事をもっとニュートラルに受け止めて、行動していたいと思う。こういった物事の当事者としても、批評家としても。

たとえば俺はマーケティング的にヤリチンを名乗っていて、実際に一般的な同年代より経験人数も多いけれど、「凄腕ナンパ師」が一年で「斬る」数には負ける。奴らパネェ。だけど、それが過剰な欲に溺れなかった自分のバランス感覚というプライドにもなっている。だから書ける文章がある。まぁ短時間でセックスを獲得するテクニックという観点では中途半端なままなんだろうけど…。


ともあれ、最近盛り上がっているこのあたりの話題には「過剰さ」を感じて、ネットっぽいと感じつつも、それ自体が気持ち悪いと思ってこれを書いた。ちなみに俺はメンヘラにまったくモテないので、メンヘラ界隈の話題がいまいち実感をともなって分からんのだよな…。大学時代に一瞬付き合った女の子は浜崎あゆみと太宰治が好きで、そのあとバンギャになったんですけれど。自然消滅したはずだ。


引き合いに出して申し訳なさ全開なくらい水野さんは尊敬してます。この本は笑いでまぶして読ませながら初心者には実用的な内容にまとまっていると思います。


この本は面白かったです。タメになります。